太平洋戦争末期、ある疎開先の孫娘と祖父が交わした往復書簡が出版された。空襲が激しさを増すなか、祖父の絵はがきは、希望を持って正しく生きる
ことを繰り返し説いている。
孫娘は、元天理大教授の児玉佳與子(かよこ)さん(80)。祖父の斎藤宗次郎氏(1877〜1968)は、岩手県出身のキリスト教徒で、宮沢賢治の「雨ニモ
マケズ」のモデルとされる。キリスト教思想家で非戦論を説いた内村鑑三の弟子だった。 孫娘の夫で元同志社女子大学長の児玉実英さん(80)=京都市北
区=が編集。「斎藤宗次郎・孫佳與子との往復書簡 空襲と疎開のはざまで」とのタイトルだ。 国民学校5〜6年生だった佳與子さんは長野県上田市郊外に
疎開中で、2人は44年8月から終戦後の翌45年11月まで計160通の絵はがきや手紙をやりとりした。
東京都内に住んでいた斎藤氏は、日々激しさを増す空襲の被害状況や防空壕(ごう)づくりの苦労などを報告する一方、庭で育てる野菜について「(カボチャ
が)三キロ位になって花壇にゴロゴロしている。食事をしながら眺めるのは誠に楽しい」「次郎柿だ。四つなった」など日常生活の喜びを書き送っている。
また佳與子さんの誕生日には「どんな事があっても恐るるな、驚くな、失望すな、悲観すな」などの言葉を贈った。
これに対して佳與子さんも日々の絵はがきのほか、手書きの「佳與子新聞」を4号まで刊行。学寮で育てている蚕の成長ぶりや、飼っていたウサギの失踪事件
などを生き生きと報告している。一方で、空襲による家族の身を案じつつ「私は元気ぴんぴん」「もし家族全めつしたって、あたしだけは生き残って、第二の国民
として立つ覚悟で来た」と気丈な面も見せる。
実英さんは「隣国との摩擦を口実にした武力行使を支持する世論の高まりに不安を抱く。書簡からは、戦争の影を色濃く読み取ることができる。戦争で犠牲に
なるのは市民や子どもたちであることを、改めて胸に刻みたい」と話している。